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Dessau滞在記

  • 執筆者の写真: Hisa
    Hisa
  • 2024年8月2日
  • 読了時間: 21分

更新日:2025年8月9日

ホストファミリーの計いでDessauに住む家族を探してもらった。そこはかの有名なBauhausがあったところで、無論その目的のためにやってきた次第である。色々やることが多く、そのため楽しく、日記として残しておけばいずれ何かの役に立つだろうという考え。


(全部書いた後に書いた注意書き:量が多いのでゆっくり、じっくり読んでください)


7月30日

Bauhütteからホストシスターに最寄りの駅まで届けてもらった。 そこからかれこれ7時間ぐらいかけてDessauはDessau hbfへと向かう。Wormsを抜けてFrankfurtに入ったところで、何を思ったのか次の駅であるFrankfurt Südにまで歩いていくことした。列車が発車する5分前に着いたその上に、歩いた周辺の初めて見た新鮮の景色のほとんどを覚えていないのであんまり意味はなかった。Leuchtturmも買えなかった。



コーラとHariboを買って電車に乗ったはいいが、座る席を予約していないので誰も取っていない席を見つけるしかない。乗った電車はFlixtrainでDBの配給するそれではない。これが最大の間違いだった。Flixtrainを予約する際は、絶対にFlix.comで取らないといけない。これを全く知らなくて席は満杯で座れないし、その上次の駅で降ろされるハメになった。これを手順を踏んでしか見えないページにかくDBよ、いくら自分のせいとはいえこれはうざい。


そのまま緊急でDessau行きの乗り換え列車を予約し(80€!)、座席も指定して、蹴り出された駅で大して待つこともなくその列車に乗った。これはもちろんDB配給のICEで、設備は素晴らしい。何回も乗ったが日本のものと遜色ない。と思った矢先DBクオリティの見せ場である。予約した座席のある列車が接続してないのだ!全くもって「は?」である。ホームに立つ姉ちゃんにも、食堂車の姐ちゃんにも聞いたがやっぱりその電車は消えたらしい。列車の出発数分前に予約したのに、なんでこの事態が画面に表示されないのか?でもこれは単なるドイツと日本の問題へのアプローチの違いで、結局漏れた人たち用車両に座ってひと段落を得た。そのままLeipzigまで一直線である。


Leipzigは2回目で、前回は10分ほどしか滞在できなかったので、もどかしさを焼却するために乗り換えまでの40分を古本屋に全振りしようとした矢先、電車がつくのが12分遅れた。残り時間が28分となりたった1店舗しか回れなかった。とはいえドイツで知っている古本屋(ドイツ語で「Antiquariat 」)の中で3本の指に入るほど素晴らしいところだったので、最終日にもう一回行く予定。


そして遂にDessau行きの電車に乗る時間が来たが、列車が10分遅れた。おい。急いで来たんだぞ。一冊買えたじゃねえか。


緊張とワクワクの渦中、Bauhaus  Bücherを読み返しつつ着くのを待った、思えば2019年にその本に出会ったのが始まりだった。悲しくもあまりにも訳のわからない日本語訳だったので、その当時読むのは諦めたが。去年それらを全て読んだことで、Bauhaus訪問への意欲が湧いた。そういうことを考えているうちに着いた。


憧れのDessau!そしてBauhaus!の前にホストファミリーに会わなければならない。感動的な一幕を終え、そのまますぐにBauhausに向かった。歩いて1分。感動はすぐに来た。本物だ!


まず良かったのは建築の細部を知れたこと、有名なパートを見るよりも間違いなく誰も目を向けないところに注視して集中した方が、自分にとっては価値があった。「トイレに続く下る階段はFagus工場の階段そっくり」「照明のスイッチはErnst-May-Hausのものと同じで、全てのフロアにおいて統一されている」「車が通り抜けられるアーチの部分の照明は良い」「チェーンの上げ下げで窓が開くことは知っていたが、チェーンの巻きついている滑車の中央のねじに動力が伝わるとは知らなかった」「全体的に補修が行き届いているので、100年前の古さがない」「とはいえ外観だけでも新しくデコレートしたらそう見えるのか?」「いやBauhausはそういうことを言いたいのではない」とかを思っていた。


そして教室棟に入ったとき、全ての部屋が研究者のオフィスになっていることに気がついた。そこでもしやTorsten Blume氏がいるのではないかと考え、一つ一つネームプレートを確認していった。かのOskar Schlemmerも描いた階段(モデルは本当にここなのか?)を上りながら探し続けた。最上階の階段からすぐそこに見つけたので、中で雑談している人らの邪魔をなるべくしないようにという日本人らしさを発揮しながら、うにゃうにゃしたのち声をかけた。


残念ながら今日はもうすでに帰ったとのことで、彼の同僚の一人が電話で連絡をしてくれた。この仲介は本当に有り難かった。ドイツ語混ざりの英語というなんとまあ身勝手な言語を操りながら(感動詞は日本語)、明日の10時に待ち合わせのアポをとることができた。


彼のことは日本バウハウス協会の提供するzoomの講義ですでに知っており、いくらか前にBauhausに行くと事務局に尋ねた時、彼を紹介もできると事務局から言われた。そういう経緯で会ってみようと思ったのだった。




7月31日

昨日連絡をしたTorsten Blume氏と待ち合わせをした。まだドイツ語は完璧に聞きいて理解することができないので英語で対応してもらった。ここで話題となったのが、自分が日本人であるということ。そして最も若い日本バウハウス協会の会員であるということ。特に後者が後々効いた。まず自分が日本人であるという事実から、Bauhausは如何様に日本と関わってきたか、日本というエキゾチックな世界はBauhausのデザインに何を及ぼしたらしめたか、 を話した。


外で紅茶を飲みながら話していたので、すぐにカーテンウォールが目につき、彼が「カーテンウォールの窓の開閉は日本のショウジを真似したんだ」と言った。他にも「BauhausのTheaterを見たかい?あそこには4本のcolumnがあるだろう。ノウを知ってるをよね?あそこはその舞台からインスパイアされたんだ 」「イワオやミズタニもここに留学をしたし、日本とBauhausは関係が深いんだ」「現に私も日本で展覧会を開いたからね」


またミュージアムショップ(今思ったがBauhausはミュージアムじゃなくて生きる思想のような気がする)でBlume氏で一冊の本を贈呈してくれた。ちなみに紅茶も奢ってもらえた。T. Lux Feininger und seine Bauhausfamilie 1926-1933という本である。家に帰って読んでみると彼が著者の一人であることを知った。また明日会う予定。


英語に直すとこんな感じだと思います。彼の言った事実以外にも日本との関係を知ることのできる材料は意外にも、はたまた必然にもたくさんあり、調べてみるとjapanizedされたダダやフォトモンタージュや多くの雑誌が出てくろと思います。


さて紅茶を飲み終わった後はDie Bibliothek der Stiftung Bauhaus Dessauに、彼と一緒に向か。彼は私のために日本語の本を探してくれ(その中にはいくつか既知のもの、すでに所有しているものがあった)、自分は数多のBauhaus関連(とはいえ「Bauhaus Dessau ist tot, Bauhaus lebt」なのでここ出身の多くの芸術家の本があって、狂う)に埋もれてとてつもなく嬉しかった。いくつか知ってはいたものの、そのレア度から見つけにくいものもあり、それ以外にも気になる本は腐るほどあったので、とりあえず全ての棚を見てリストアップすることにした。途中彼は仕事の都合で帰ったが、自分はここが閉まる15時までぶっ通して棚を見てはタイトルと作者と出版社をメモし続けた。棚の4分の1ぐらいしか終わらなかったので、明日もやる予定。リストを添付するので、もし所有していたら貰うので連絡ください。


腹が減ったので家でラザニアを食べて、そのままBauhaus Museumに向かった。たった2時間しかないのに、知らない単語をいちいち調べて、本編じゃない特別展で1時間も費やしてしまった。好きなものに使う時間はあまりにもあ早いが、結局本編の10分の一も見ないで終えてしまったので、明日再訪する予定。レプリカでないechtなものが見れると願う。


BauhausのミュージアムショップはKitschな偽物が少なくとてもありがたい。専門書も取り揃えていて、Bauhaus Bücherも当然のようにあった。しかし欲しくて欲しくて読みたくて読みたくてたまらないWassily KandinskyのPunkt und Linie zu Flächeは置いていなかった。先ほど図書館で全巻見つけたが、当たり前のようにそれらは貰うことはできないのでBerlinのBauhaus Archivで買うしかないか。それがダメならAmazon.deがeBay.comで探すしかない。ちなみに全14冊買うと8万円強です。あと日本語訳はあんまり翻訳も上手くないし(普通にミスがある)、文章と文章の意味のつながりがはちゃめちゃに難しいので、写真集のような第1巻、第7巻、第12巻以外は英語訳か原文ママで読む方がいいです。特に第14巻は訳がわからない。読解という言葉が似合う巻です。


ドイツ語流暢さんはhttps://www.bauhaus-bookshelf.orgから無料で見てください。



8月1日

朝からTörten Siedlungを見にいった。7時ごろに起き、なかなか長い道のりを飛ばしながら30分ぐらいで着いた。予定を死ぬほど詰めてこの数日過ごしているので、Konsumvereinとして建てられたSiedlung中央のインフォメーションセンターには入れなかった。なのでまた明日行く予定。世界遺産とはいえ、個人の住宅なので彼らの思うようにところどころ改造されている。しかし腐っても世界遺産に登録されているので、そう迂闊には大きく改造はできない。そこらへんの細かい基準や規約は知らない。この留学中にドイツとイタリア、計2カ国の世界遺産を回ったが、世界遺産というものは観光地化に拍車をかけるので、特にその場所、建物、風景を敬愛している物からすれば、観光客とゴミを売るゴミみたいな偽バザールはくそくらえである。


例としてそういう傾向があるのにBauhauは全くもってそうではない。如何物が全くいない。なんというかすごく平和なのだ。まず理由として考えられるのは、Bauhausという存在がとてもコアであるということ。工房で開発された製品、教師陣の描いた絵画、計画された多くの建築物、その理論、そして影響の数々。芸術は金がかかるので昔からパトロンがついていたが、その例が表すようにBauhausは来る人を選ぶのかも知れない。普通街中でKleeは見ないし、これがいいことなのかわからないがセンセーショナルでメディアに頻繁に登場するような絵画も持ち合わせていない、その上Dessau市は大都市ではない。


そんなことを考えながらTorsten Blume氏のいるBauhaus校舎へと向かった。何を話すかは決めていなかったが、今回は私が高校を出た後に何をしたいかという質問をされて、そこから話題が広がった。特に自分にとって重要な問いとして、以下の二つが印象に残っている。


「デザインと建築のどちらがやりたいのか」

デザインよりは建築を中心に行いたい:昔も今も建築家はどちらのデザインも行なっているし、行える。というかビジネスとして分けられた分野に囚われているのは、なんというか次元が低いような気がする。建築が全ての芸術の最高位、すなわち全ての芸術の「集合体」なのだとしたら、建築家の性はなんでもすることなのではないか。


「Bauhausで建築やデザインを学ぶのはどうか」

選択肢としてBauhausで学ぶことは可能だし、Berlinで学ぶこともできる:ここは国際色豊かで多くの国から留学生も来ている、学ぶ場所としてはとても良い。でも1920年台のBauhausは教育機関として機能したのは、意欲的且つ当時の先進的な思想を持った教師陣が揃っていたからこそ成就したもので、「100年前のものをこれからも追い続けたいか?」というとそうではない。芸術と技術の融合においてBauhausの教師陣が持ちえるものは圧倒的に前者のスキルだったと考える。と言いながらも、できるならここで学びたい。しかし研究者としてBauhausに籍を置きながら学びたいのだ。やりたいことはいくつかあるけど、一番やりたいのはBauhausの収蔵品のデジタルアーカイブ化。芸術家、デザイナー、建築家の理論は面白い。なんと言おうと面白い。そう「面白い」のに、マニアしかこれを知ろうとしないので、もっと広範に知らしめたい。とはいえそれでも学ぶ人は選ばれる必要がある。デジタル化の主要な理由として、そのような「面白い」ものを自分で探そうとする時、どうしても本やWikipediaの情報に頼らざるを得なくなる。どちらも始まりにはちょうどいいが、前者は芸術/デザイン/建築関連の本となるとどうしても値段が張る。その上全ての作品を網羅した本なんて存在しないし、あったとしてもやはりマニア/研究者向けである。またWikipediaを代表するネットの情報は、分散していてわかりにくい。Bauhausという一つの機関から生まれたものなのに、あれやこれやに情報が飛び交っているのは非常に面倒だ。この二つの理由より、「統合した」「誰でも見られて」「情報が正確な」アーカイブを作りたい。


さて本日の本編はここからです。「最後に何か質問ある?」と問われ「どこでBauhausが運営されていた当時の本を手に入れられますか?」と言った。「見るだけじゃダメなのかい?」「手に取って読んでみたいんです」「ちょっと待ってね、同僚に電話するから..」


というわけでBauhausの一般には公開されていないバックヤードにて、目的の本を見れることになった(!)


ありがとうございます!


同僚に会うまでの1時間半をまた図書間で過ごした。タイプしてするのが極度に非効率だということに気づき、面白そうな本を見つけては写真を撮りまくった。特に建築家個人の本の収蔵量が凄まじく、しかも自分の希望に沿った本も続々と見つかったため、せっせと撮影に励んだ。読む時間が真っ当に取れないためこんなことをしている。


そしてお待ちかねの時間が来た。そうバックヤードの時間だ。Blume氏の乗る自転車に、同じく自転車に乗りながら目的の場所までついて行った。途中で彼の同僚の誕生日?もしくは差し入れとしてケーキを買っていった。Bauhaus校舎から線路を超えた、おどろおどろしい煉瓦造りの工場建築が並ぶところにアーカイブはあった。


中に入るなり休憩室の様な場所に案内され、そこでBlume氏は同僚と少しのディスカッションをしていた。会話は全てドイツ語だったため完全には理解はできなかったが、私の目の前に座っている写真家の展覧会について打ち合わせをしているみたいだった。それが終わりすぐに、この部屋につながる大きな部屋に案内された。そこで彼のもう一人の同僚が、奥の部屋から一つの封筒を携えてきた。これが待っていた、あのBauhaus Bücherのechtな本らしい。巻は事前に伝えておいたWassily Kandinskyの「Punkt und Linie zu Flach」だ。


渡された白い手袋を履いて恐る恐る封筒から本を取り出す。そして遂に表紙が現れた。あの表紙である。今までほぼ当時のものと同じオリジナルが再現されたというLars Müller社刊の上製本が初版の本物だと思っていたので、うペラペラの表紙をめくったときは少し驚いた。そして紙質も思ってたより薄く、荒く、製紙時のローラーの跡が残っていた感じがした。ぱらぱらと頁をめくり、見るうちに自分がスラスラとドイツ語が読めないのを悔やんだ。中央公論美術社の日本語訳された所謂「バウハウス叢書」は翻訳が的確でない。ミスもある。とにかく事実として何をWalter GropiusやWassily Kandinsky、Paul  Kleeが思っていたかを知るには原文を読むのが一番だ。と考えていたが、英語版のものを少し読んで、原文のドイツ語が相当に癖のある文章である可能性に思い立った。兎に角Bauhausに興味がある方はドイツ語を学ぶことをお勧めします。ドイツの文献はドイツ語です。


そしてここから自分は予測していなかったのだが、その本以外にこのアーカイブ内の他の収蔵品を見ることので切るチャンスを与えられた。Blume氏と、彼の同僚のもと鍵のかかった倉庫へと向かった。


まず臭いから違った。Bauhaus校舎は建設当時のデザインを、いくつかの困難がありながら、大部分の形を現在にまで留めてきた。しかしそこには補修された部分があるとはいえ、当時の雰囲気を体で「あるな」と感じることはできない。これはBauhausが現在にまでもやはり生きているという、アイロニー的な意味で頷けるのだが、それはやはり事実を確かに示しているわけではない。だがここは違う。明らかに体の感覚が作られた時代を感じ取っている。その次に視覚が入ってきた。「Neue Arbeiten der Bauhauswerkstätten」や「Stattliches Bauhaus in Weimar 1919-1923」で見たようなモノクロームの写真が、生き生きとしてカラーで存在している!最初に目に入ったのはJugendstilかそれより少し先に作られたであろう棚。そして直方体の組み合わせで構成された初期Bauhausの棚、棚、棚。奥にはOsker Schlemmerの舞台で使われた衣装の模型(暗くてよく分からなかったがおそらく模型) があった。それでも興奮治まりきらぬ状態で、階段を上がったさらにありえない場所にきた。そこにはあまたの椅子とテーブルが並べられていた。


まずBlume氏からとある椅子とテーブルについて説明された。Karl Fieger作の椅子とテーブルのセットで、工業的に大量生産されたものではなく、手作業で作られたモデルである。彼は計画している次のエキシビジョン、テーマは「Metal」ということで、パイプで構造が完成されたその椅子について説明をしてくれた。この椅子は手作業で作成されたため、パイプの折り曲げ部分に一本の線が入っている。普通そういう椅子は機械で作られるので、その様な跡がなくシームレスに曲がるのだ、と。そしてそれがどうやって折り曲げられたかについて考えている、とのことだった。


その話が終わると彼は同僚と、そのエキシビジョンについてか色々話していたため、「Can I see around here?」と聞いて承諾を得、見入り続けた。なんと言うか、すごかった。まず100年以上前の製品が、それもモダニズムと言う現在まで連綿と続く「現代」というカテゴリの基礎が、既に1世紀という信じがたい長い長い過去であるのにも関わらず、それはやはり存在しているんだという驚き。それを決定付けるのは家具の普通は見ることが不可能な細部の機能。昨日とは静物には存在しなくて、動くからこそそこに「機能」なる経験を含んだ意味が生まれるのだが、これは自分が触らずとも、それまでに得た過去という動かぬ経験や知識が、このように椅子の足は固定され、ビスは小さく黒暗く磨かれた色をし、木の塗装はそれらしく当時のそれであることを物語り、それがやはり「ある」という事実を思い知らせるのだ。


そしてその奥にある、また新たな倉庫へと向かった。そこは、何というか、普通ではない。正常なことがあるとしたら、それはなく、単にここは普通の空間ではない。そこはBauhausで描かれた絵画や、何かしらの書類を保管するところだった。彼らが見せてくれたのはLeyonel Feiningerの「echt」な絵画である。まさに普通ではない。おかしいところは何もないのに、これは普通ではない。


と言った具合でバックヤードのツアーは終わった。完全に招待されて行く事ができたのでTorsten Blume氏とその同僚に大きく感謝の意を申し上げる。本当にあれは特別だった。これは普通ではない。


Archivから戻りBauhaus校舎に戻ったあと、Blume氏から励ましの言葉をもらい、私たちは別れた。明日はここには来ないらしい。本当にありがとうございました!Vielen dank!そしてまた!




(ちなみにこの後Bauhaus Museumに行ったのだが余韻が大き過ぎて、つまらなかった。なので省きます)


8月2日

最終日なので行きたいところを詰め込めるだけ詰め込んだ。


まずBibliothek。Bauhausの主要なマイスターの本をまだ見ていなかったのでまた行くことにした。あと気になる本のコピーもとっておかなければならない。とは言いつつ開館時間の30分前ぐらいに出てきたので、BauhausのカフェテリアでOranginaを飲みつつ待った。日本からいつのまにか撤退してそのままなのでその嬉しいこと、嬉しいこと何より。


ただ気になる本を探して置けばいいということでもなく、重要な点として「ピンからキリまでの全ての作品が網羅された本」を探すのが目的。特に建築家は大抵失敗続き(コンペで負ける、勝っても実現しない、戦争で逃げなければならない、経済危機で建設が止まる等々)なので、彼らの思想やら何やらを知るには実現したプロジェクトの詳細以上に、未完のプロジェクトまでもが載ったような本を探さないといけない。あと初期の建築の情報も重要、特に初期モダニズムの建築家の初期作品は似たり寄ったりの古典的なデザインだけど、面白い。でも古いので写真や依頼主の情報が欠けている。


結果としてWalter Gropiusの作品を全て記したパンフレット的な資料と、シンポジウムで使われた、おそらく購入は不可能であろうMarianne Brandtの冊子をコピーした。最初は普通にコピー機を使ったが、遅いし嵩張るので、次からスマホでスキャンをしてpdfにした。後の方が格段に早いし良い。普通コピーする時には1枚につき10セント払うらしいのだが、好意で無料にしてもらった。2ユーロが浮いたところで、Bauhausで面白いぐらいに散財しているのであんまり関係ない。合計12冊の本を買って、2冊の本をもらった。


次に内部を見ていなかったMeisterhäuserに向かった。戦争中の空爆によって破壊されたGropius邸とMohly-Nagy邸は、正確な「モデル」という形で再現されたため、総じて酷かった。まあ当時の通りに再現するのは確実に難しいし、できたところでオリジナルが現存する他の3棟と比べられれば、その差は一目瞭然だろうから、あえてその身を選んだのだろう。それにしても酷かった。


とはいえ他の建物はとても良かった。Muche邸、Schlemmer邸は、詳細はわからないが、Bauhausのアーティストのために今現在使われているようで内部には進入できなかったが、それでもKlee邸、Schlemmer邸は良かった。住宅というBauhaus校舎と比べ、その大きさから全てを見ることができないが動くことによって全体が見えてくる、見えてくるといったものではなく、一つの家庭が生活するという点で生活の様々な細かいこと:部屋の片付け、掃除、洗濯、睡眠時間の確保、臭うトイレなどのことが、家族の一人一人と関わって見えてくるのだなあ、と思った。つまり住まないとわかんねえ。後Feininger邸はkitschに隣接しているおかげで、全体像としてその良さを体感できなかった。かの彼らが住んでいたからといって興奮することはなかった、複製でない直筆の絵画を見た時の方が「生きていたんだ」という事実が伝わる。その筆使いや、絵の具の盛り上がりによる影や段差、そして臭いが何とはまあ生きている。


そこから色々あっていけなかったAntiquariatに行ったが「Heute geschlossen」と付箋に書いてあって萎えた。今日ぐらい普段通りやってくれよ。


そのままKornhausに向かい昼食を食べることにした。何げにElbe川を見るのは初めてなので、興奮するなんてことはなかった。白すぎるトイレを見る方が断然興奮する。さてメニューは読めるが何の料理なのかが全くわからないので、適当に頼んだ。サンマの中にオレンジと黄色を混ぜたような何かを入れて揚げたような何かと、皮が剥かれたころころとしたじゃがいも、酢らしい酢がかかった4分円のきゅうりと線状の人参(フォークに絡まる)と草のサラダ、らを食べたり飲んだりした。clの表示を始めてみた。カードで支払って終えた。


その帰りBlume氏から勧められたTechnikmuseum Hugo Junkersに向かった。何でもBauhausと関係があるらしく(端から見ると無知の舞)。何の事前知識もない状態で行ったのが本当に良かった。というのも自分がドイツに来てから体験したいくつもの博物館の中でダントツで一番だったからだ。MünchenのDeutsches Museumという超ド級に大きな博物館があるのだが、そこと比べても段違いに素晴らしいところだった。何も知らないことが興味を引き立て、その上次第にわかってくるBauhausとの接点が気持ちよく、その上目玉である実物の飛行機以上に、各種給湯器のデザインがまた面白い。デザイン以上に給湯器から始まって飛行機のエンジンへと昇華する姿がまさに、会社であり、エンジニアの魂のような気がしたのだ。Hugo Junkersという一人の男の根性とその意欲、それらが物としてドッと押し寄せたこの感覚、「物理学はこのためにあるのだな」と強く感じた。


見る以上にここで可能なアクティビティもさらに素晴らしく、実際の飛行機に乗ることが可能なのだ!それも一番最初のインディージョーンズでコックピットが逃げ出して、どうにかこうにか脱出しなければいけなくなるあの飛行機になんと乗ることができるのだ!


これらのエキサイトメントに負けて彼の自伝と、Bauhausが出版した彼に関する小さな本を買って行った。これは当然行われて然りだろう。前の人も自伝を買っていた。どっさりと思いドイツ語である。


そしてまた自転車を走らせ、少しだけTrinkhalleでFritz-Kolaを飲みながらArbeitsamtに向かった。すでに傍目からは何度も見ているのだが、実際に訪問するのは初めてだ。で行ったのが3時半過ぎで、この現在もオフィスとして使われているここは12時に閉まる。市政がよお。仕方なく観察と行くつか写真を撮って帰った。


ここらで考えたのは自分は建築に対して少し考え直さないといけないということだ。それは「建築」の在り方/意味を再定義するとか、そういう話じゃなくて単に、ドイツにこれからも滞在しBerlinに行った際にただ見るだけ(Magdeburg、Frankfurtなどで3月4月ごろ)でもなく、ただスケッチするのでもなく(Stuttgart、Vitra Design Museum、Bremerhavenで5月6月ごろ)、何か新しいやり方を模索しなければならないのだ。Bauhausも建築は芸術の中での最高位のものであると言った。これは1920年代当時に新しい人間のために新しいスタイルを考えだそうと、建築という人間の生活の基盤に、芸術たる生きるための手助けをする人間の作る「物」を最終的に集めて具現化したものというのが「建築」だったという意味で、単なるそれ以前の実用的に無価値な部分がほとんどを占める古典のそれでは、もうないということなのだ。私が追いかけている建築はそれらの考えがベースになって、広がっている。建築は、いや建築という括り以上に、人間が作るもの全ては事後的にその形を見て、機能が正確にわかるような生易しいものではない。そこには人間の思考があり、それまで生きてきた経験の蓄積がなす無意識の無数の選択があって、その形になるのだ。外観がこうだからと決めつけて行うのは、製作者に対する自分自身のエゴで、何も尊重していない。私は一つ一つの建築について、建築家が何を思って設計したがか知りたい。それらは見つけるのが非常に難しいが、本に載っていることが多い。でも追いかけている建築家のほとんどはすでに墓の下で休憩をしている。どうしようもない。せめて本を読んで思想を知り、考える他に何かできないか。建築は哲学ではない。あくまで、というか究極的に現実的なのだ。私ができるのは私の体験したい建築に住む人たちに連絡を取り、実際に会って話をすることだ。建築は芸術のひとつと言いながらも、結局使われて荒んでいくものだ。その荒みは住人の記憶のそのものであって、私はそこに触れていきたい。100年前のもののパパラッチはもういいだろう。


さて


さて


さて


さて次に、もう一回Törtenに行かなければならない。前は早く行きすぎて、 Konsumvereinが閉まっていたのだ。入ったところで模型と遺物以外見るものがないのは吉だったがそれでも行った。観光客はトラムでばーあっと行った方が格段にいいです。で着いたら着いたで、ツアーをやってるから、閉まっている。結局それで1時間待って、ガラス扉に書かれていた予定の時間を10分過ぎて、関係者らしき人が開けた。5分で見終え、ホストファミリーに日本料理を振る舞わなければいけないので、自転車をできる限りかっ飛ばした。


麻婆豆腐(日本料理?)と米(ジャスミン米:日本?)を作ったが、ホストファザーが「この醤油はグルテンフリーじゃないから使わないで」という前に、すでに使っていたので、急遽卵焼きを拵えた。ホストの子供はグルテンが食べられない。



そして今、Bauhaus校舎前でこれを書いている。ここでDessau編は終わり。明日またLeipzigと初めてのWeimarに行く予定なので、そっちもよろしく。結論で〆るなら「いつかBauhausで研究者として在籍する」「建築/デザインを学ぶのならハーバードのデザイン大学校などの、多くのコネと人材が集まる、建築以上に先進的なところで学びたい」最後に、「Bauhausは永遠に不滅です!」


 
 
 

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