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How holy toilet!

  • 執筆者の写真: Hisa
    Hisa
  • 2024年8月6日
  • 読了時間: 5分

更新日:2024年11月14日

「トイレは神聖である」なぜならその儀式的な操作が、神殿や祭具を用いたそれと酷似しているからだ。これは完全に西洋発祥の考え方を下敷きにしているので、ここでは日本的なトイレに関する価値観は排除して欲しい。


まずこの考え方に至った経緯を説明しよう。ある時ドイツにて、人生で初めて完璧なトイレに出会った。その時の写真がヘッダーの画像である。何が完璧か、この空間に出会した人(それもアクシデント的に)出ないとわからないと思うが、全てが純白なのだ。それも一定の大きさを保っていて、全てが真っ白な器具によって構成されている、そして「構成」されているように思えないほど一つ一つがシームレスにつながっている。「これはまさしく完璧なトイレだ!」


ここで私がそのとき思った完璧なトイレが、=「トイレは神聖である」という考え方にどのように結びつくかを説明する。


「白は美しい」

まず白という色は美しい。これはイメージとしてではなく、明らかに美しいのだ。そもそも白は、それも完全な白は自然界には存在しない。あるのは単に、白以外の不純物が多いに混ざった偽物の白に過ぎない。例えばもしアルビノの子供が生まれたのなら、カメだろうがメダカだろうがカササギだろうが、その子を真っ先に殺す。あまりにも目立ちすぎるからだ。だが人間の知は、元々あるそのような世界を完全に打ち負かし、完全な白を作り出すことに成功した。そこに美しさを見極めたのも人間の知恵そのものである。特にパルテノン神殿はその中でも別格と言えるだろう、それは古典的に人間が白に価値を見出していたことの象徴である。現代でも建築家の設計した建築のファサードには白が多い。初期モダニズムの建築家は、クライアントによる制限や資金不足を掻い潜って、多くの「白い建築」を作り続けてきた。古代から、彫刻的な造形を必要としながらも限りなく実用に富んだ現代建築というセオリーに移行した現在でも、その意味は確かに残り続けている。そして美しさへの考え方は、白=清潔という、トイレにおける根幹をなす考え方にも繋がってくる。裁判官の着ている服の色である黒は、司法において「何にも染まらない」というメッセージが込められているのに対し、白は「何にも染まる」からこそ貴重かつ、汚れが目立ちやすいという現実的な機能も備わっている。これは素晴らしいことではないか?


「不浄を洗い流す」

トイレは間違いなく排泄をする場である。それでしかないし、古来からその用途で通って来、そのために発明された。人間社会は、犬畜生の生活する自然界と比べて、病的に整っている。人間のモラルはハトが駅構内に所構わず脱糞し、赤茶けた鉄のアーチが白くなることを絶対に許さない。なぜならそれらは汚いからだ。しかしそれらはハトの仕業であるため、人間の深く関与するところではない。とはいえ現在では(いつからは分からないがとにかく昔から)犬のようにどこでも用を足す人間は、忌避される運命にある。親は子供に躾としておまるでトイレをすることを強制し、子供はそれに倣って成長し、おもらしをするような悪い子を矯正する。このように排泄はそ社会的にも道徳的にも排除される。さて私たちはこの問題を果たしてどのように処理すれば良いのだろうか?その答えとして辿り着いたのが「トイレ」である。生活のために元々あったものを発展させた形が、最終的に現在の「トイレ」になったため、このようなメタファーがあるかは分からないが、「人間にたまった不浄を出すことで再び美しい人間へと復活する」。考えられなくもないだろう?


「プライベートな個室」

トイレをするという行為は残念ながら共同作業で行うものではない。いつも一人で堂々としなければならない。それは、排泄が恥をなすような行為で、トイレでするからこそ許されるうような観念が浸透しているからだ。しかしそれ以上に私は、トイレは他の人とのコミュニケーションをシャットダウンし、完全に一人で行うことで「個人の宮殿」を作り出しているのではないかと考えた。「個人の宮殿」とはトイレという空間が、それが家にあろうと、駅にあろうと、会社にあろうと、全てのどのようなシチュエーションにおいても、トイレが全く同じ形を持った便器を捧げているという点にある。そのどの場合でも可変でありながら、いつでも個人の一つの自由な世界として機能することができる。これはトイレで新聞を読んだりスマホを見続けてしまう理由の一つではないか。


またトイレで行う行為は長年の訓練によって形式化されている。きたないのでいちいちその手順は説明しないが、万人に広まった一つの形として無意識に大きなムーブメントを作り出している。それはどんなにテクノロジーが進化しても人間は排泄をしなければならないという、人間はいつまでも肉体を持った人間であるという一種のジレンマだし、克服しなければならない問題/課題でもある。


これらの理由から私は「トイレは神聖である」という考えに至った。


終始きたない話になってすいませんでした。あと書いているときにフォービスムとイスラエルの白い街を思い出した。トイレ史なんてあるのかなあ、詳しく知りたい方はtotoにお問合せを。あとまゆつば程度に捉えてくれればいいのですが、ドイツのキャンプ場のトイレには虫がいません。限りない平地にキャンプ場がぽつねんと立っているからかなあ。


 
 
 

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