おそれ大きもの
- Hisa
- 2024年5月18日
- 読了時間: 4分
肉体的制約が阻める世界は狭く見えてしまう。肉体から見える世界は、肉体の大きさと比較されるのでスケールがどうしても小から大へ向かい、広く見えるのだが、実際広大な世界に瘡蓋のような住居を建てた細菌程度のごみがどう足掻いたところでちっぽけな人間のままである。肉体の位置コントロールは個人で変えられる範疇であるけれども、それもやはり肉体の脆さには打ち勝つことができない。それは色々と面倒なので、解放する必要がある。必要があるかどうかは個人の選択なのだが、よく見てみると社会は肉体の解放に(そのような字義を含んでいなくても、イデオロギーは似通っているところがある)積極的である。
肉体の解放、すなわち肉体をなくしても現在の状態を維持できる代替手段を考えること。言うまでもなく難しい。そもそも肉体がないと言うことは私を形作る存在が、普段あるべきところにないと言うことだ。ただ無いので無は機能しない。つまり最も有能な一部の機能性に全てを振って、それ以外はシンプルに肉体を補って本来のそれを上回るパフォーマンスのものを作ればいい。まず肉体がなくなったことを観測できないこと(つまり意識を持つこと)には始まらない。これで肉体は脳だけになった。仮に肉体の元々の主機能を「移動」「内臓の保護/保有」などとしておく。それができなくても脳(らしきものとして捉えて欲しい、肉体が無いなりの新たなアプローチがあると思う)が動くだろうか?多分無理なので脳の代わりに(文字通り)全てを積んだデータベースを置く。しかし注意すべきなのは全てを積んだと言うのは、言語記述の方式をとってない。つまりこの世である限りの可能性の最小の単純と思われるピースから、最大のかたまりまでを乗せている。そして意思とは過去に裏打ちされた目的を持ったその後への(多かれ少なかれの)課題解決のための手段である。つまりただ全てを積んだデータベースは全てがそこにあるだけなので、芸術な喉に美しさを(嘘でも)感じてしまう人間(:体系としての人間、つまりその全てを含んでいるが単数としてここでは表されている)から言ってしまえば癖がなくつまらない。ただの一定不変である。ここに何らかの規則性がある偏りを持たせてデータベースを改変する。データベースは全てを乗せており、全てには空間と時間が使われているので、それらは動くことができる。そして改変されたデータベースはその通り動く。(側から見たところの)癖が発生しそれらは動き続ける。しかし問題なのは、その癖は付与されたものなのだ。
一定に上の実験と同じとは言わないが人間の持つ意思というのは、さて本当に自己しか持たない完全にオリジナルに想起されたものなのか。付与された、というと造物主が私たちをいみじくもお作りになった際に塩を振るように付けてくれたアタッチメントのように思えるが、そういった人間と同じような存在(神が同じ二足歩行をしているなんて馬鹿げいる発想が、集合意識で本当になって創造されたのだから、なお馬鹿らしい)「が」ではなくて、自然(いわゆる自然が出来上がる以前の物語が起因しているかもしれないし、それはまだわからない)と付与されたのだと思う。
生命というバグの多い粘土で造形したような不完全体が、どうしてここまで高度化した(ように見える)のか。特に人間というごみはどうして出来上がってしまったのか。もし地球のような環境(別に星の形態をとってなくても良い、ただのだだっ広いフィールドでも良い)を再現し持てるとして、そこで声明を発生させた時、人間のような高度な知能(と勝手に思っているが)を持った存在は生まれるのか。
私たちは結局人間の枠を逸しえない。悔しくもあるが、人間という思いやりを持ってしまったばかりにろくでなしやごくつぶし、かいしょうなし、ごみども、を意図的に(かつ大規模に、制度化もしないで)淘汰をしぶる性質を持ってしまった以上、タコにはなることはできない。モルタルの壁になって生きることもできない。ミルフィーユのような露頭にもなることはできない。技術は倫理を許せない性格にあるから、決してばけものを人間とは呼ばない。故に私たちがすべきは肉体の浪費をやめるということだ。死が一番手っ取り早い解放の方法だが、一種としてワーストでもある。肉体の消費するエネルギーを、ぜひ有用なことに!収拾がつかなくなる前に、ぜひさらに重要なことに!あなた個人の問題は全ての周囲からすればごみの一種さ。




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