ジャコメッティに学ぶ人間、歴史のミカタ
- Tak Yama
- 2024年3月15日
- 読了時間: 4分
現在、私の家の近所の美術館ではアルベルト・ジャコメッティの特別展示が行われている。彼の代表作は彫刻であり、極端に細い人型の代表作「歩く人」や「指さす人」はどこかで見たことがあるかもしれない。彼の作品はしばしば実存主義的と言われているようだが、それについてはまたあとで詳しく書こうと思う。
私は彼の作品(というか様々な芸術作品)に、どうしても理解や解釈を付けたくなってしまう。無論芸術作品というのは心で味わう楽しみ方もあり、心の赴くままに眺めるのもまた鑑賞方法だが、私はそれができない。彼の、一見するとただの歪な金属像には、彼にとっての人間、そして芸術観が存分に表現されているはずなのだ。

ジャコメッティその人は、イタリアに近いスイスで生まれ、父親が印象派の画家、ジュネーヴ美術学校に入学(数日で退学)。パリに移り、ピカソやミロと交友関係を持ち、シュルレアリスム影響を受けた彫刻作品を制作。大戦後になってからは特徴的な人型をした彫刻を多く作っており、そのころになると世界的に評価されるようになる。
彼の代表作である「歩く人」はニューヨークで行われたジャコメッティ個展のために作られたものである。彼の作品は主に粘土で作られたのち、型を用いて銅で鋳造されている。概要はこのくらいにして、私の鑑賞感想を綴る。
私は現在2回その展示に赴き、1回目はなんの知識もなくただの作品として、2回目は彼についてのいくつかの記事を読んだのちに鑑賞した。1度目に抱いた印象としては、荒々しく造形されつつも華奢なその出で立ちに関心こそすれ、さほど感動したわけでもなく、ただ1つの近代・現代アートであるようにしか見えなかった。
それから少し間があき、知識を付けて作品を見てみると、以前より細部に目が行くようになった。この作品はただの実存主義、すなわち物事特に人間の普遍的・必然的な本質、存在に焦点を当てるような考え方なのだが、それだけではないように見える。彼の作品をよく見ると、ただの針金ではなく、実は体の構造がよく表現されている。彼は「彼の現実にあるものを作ろうとすればするほど作品が小さくなっていく」と言っていたが、確かにその時期の5センチにも満たない像には詳細な人間の身体の構造は描かれていない。ただその分、全体的なシルエットや曲線はいたく官能的で、女性モデルの作品ではそのシルエットは柔やかで、男性モデルのものは確かな骨太さが見え隠れしている。無論これは人間という存在の実存を表していることに間違いはない。ただ、作品が後期、終期の大きな作品になるにつれ、その体の表現はより詳細に、筋肉の構造をより生々しく描くようになっていく。彼の過去には写実画を描いていたこともあるので、納得といえば納得だが、その作品たちにはより一層の動的な美しさや、躍動感が存在している。
私が見た「歩く人」の背中には、首につながる筋肉と、歩くことによって若干の力が入った肩、そして背中の斜めに通っている筋肉のそれぞれが高度に重なっていて、到底人間とは似つかない様相であるのに果てしなく人間的で、人間そのものであるという実存主義の真髄ともいえる造形に目を見張った。
また彼は、その細い四肢の理由として、「人間の空虚さ」であると述べている。これは戦争に対するものなのか、それとももっと大きなものに対してなのかはわからないが、彼の思う人間とはきっと彼がその目で見てきたものだけでなく、彼が芸術を学ぶ上で出会った無量の作品たちや、周りの芸術家・思想家の影響を色濃く受けた存在であるだろう。
彼の作品は現代的な造形一辺倒ではない。むしろ、古代イタリアの作品との共通項なども推測されているくらいなのだ。確かに情報を見なければ彼の彫刻は時代もわからない。ただそのある意味孤立した彼の作品たちは、我々そのものを確かに表現している。背景、人間としての歴史、そして彼の表現したかった人間について考えながら見る「歩く人」は、なるほど確かに多くの人を魅了するものであると、私の空虚な理性はそう語ってくれる。
最後になるが、彼は様々な地方、時代の人間を表した芸術を見て、その"目"に人間としての生や、作者の人間観が現れていると考えた。実存はどのようにして表現できるものかと彼は考え、試行錯誤していたようだ。ただ、彼の針金のような体には、目はただのくぼみとして存在している。これだから芸術家の言葉は面白く、それを聞いたのちの作品たちは、また違う表情を見せてくれる。
ただ作品の形が変わったわけではない。彼らはその細い体を永劫に人々に魅せ続けるのみである。




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