メンタル改造論
- Tak Yama
- 2024年5月13日
- 読了時間: 3分
老害は言う。「近頃の若者は打たれ弱くって敵わん」と。実際その通りだ。体罰とパワハラでしごきあげられた彼らの精神はまさしく益荒男。大和魂そのものである。では、我々若者は彼らより弱いのか。それも頷くほかあるまい。日本社会では打たれ弱くすぐ休職、転職する私たちは労働力として安定していない。無論そのように痛めつける社会体系が根本的な問題であることは火を見るよりも明らかであるが、それはマクロ的な問題点で、改善は牛歩で行われているように感じる。つまり今現在の社会において、私たちのヒエラルキーは下、弱者として扱われるほかないのである。では、私たちは時代遅れの御老体より劣っているのだろうか。それは違う。私たちが弱いのは言い換えれば理不尽をあまり経験せずにいたうえ、自分より幸せな環境が一層近くにあるという「環境」が起因しているものであって、何も我々の世代が何か退化したものではないのである。老害よ、皆さんが目指した体罰のない社会が皆さんの前で泣きべそをかいて皆さんの骨を折る私たちを生み出したのだ。
とまあ、年上向けのような同年代への迎合のような文章はアンチを生むだけであろうからこの辺で止めておいて、実際問題として私たちは様々な精神病を患ったり(或いは病名を付けていただいて言い訳を生み出したり)病気とまではいかずとも様々な苦しみから日々耐えているわけだ。そしてそれを憐れんだりこうやって文章化していたりもしくは病気なのに叱られたりと、さらなる苦しみを生み出す要素が周りにひしめき、嗚呼全く以て何と生き辛い世に生まれたものだろうと嘆き、その要素要素に憤怒し、どうしようもない無力感とさらなる劣等感にまた苦しみを感じる。大袈裟に言えばそういう負のスパイラルの渦中というわけだ。
今更だが、今回は修辞と回りくどい表現と、実験的な書き方をしようと思う(∵この記事がそれこそ精神が弱い方々に届くと様々な怒りとか否定的な意見が生まれそうなので、読みにくくした方がお互いに幸せだろうから)
では、この弱り切ったメンタルを強くするにはどうしたらいいのだろう。実を言えば、強くなる必要はないのではないか。というのも、メンタルは、というかストレスに対しての耐性は幼少期の経験やら教育環境やらに大きく依存してしまうものだと私は考えている。それを今から強化しようにも、そのプロセスで余計にストレスを生んではしょうがない。じゃあどうするのがよいかといえば、柔軟になるということだ。ストレスに慣れるわけではない。ストレスを感じないようなスタンスで構えるということだ。先に言っておくが、これは簡単なことではない。それこそ習慣になるまで、自然になるまでには多大なるストレスを感じる機会が減るわけではないのだ。また、その他さまざまなリスクも抱えている。それも含めて、実践できる方が現れることを望んで解説していこう。
一番簡単であるがリスクの高い方法は、「ストレスを与える相手を雀だと思う」ということだ。無論雀である必要はないし、イメージとして雀としただけで、ようは「格下」だと思うことだ。「この人は私のつらさや努力を理解できない動物なのだから、何か言われてもそれは鳥のさえずりと同じ」というような解釈をするわけだ。それでも理不尽なことへの怒りはあふれるだろうが、それもいぬに吠えられたから犬を恨むのような、考えてもしょうがないものとして割り切ってしまうことができれば、ストレスの対処法として最も簡単で、メンタルを傷つけずに済むのだろう。




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