top of page
検索

借り物アイデンティティ

  • 執筆者の写真: Hisa
    Hisa
  • 2024年3月13日
  • 読了時間: 6分

更新日:2024年8月28日

当然一個人としての人間は自分が自分であると認識している。そしてその自分の形成には周囲の環境と大いに密接している。私はドイツに来てつくづく感じたのは、〇〇人という区分は存在しなくなりつつあるということだ。

最新の統計によるとドイツの人口は前年に比べ30万人ほど増加している。知っての通り日本と同じく少子高齢化が進んでいるのにも関わらず、だ。一見おかしいが、その背景にはドイツの移民文化が大きく関わっている。

ドイツの人口の増減を見てみよう。昨年死没者の数は70万人、出生者の数は40万人、そしてそれらを大きく上回る数の移民60万人。足し引きで結果30万人のプラスになっているのがわかるだろう。事実ドイツの街中を歩いていると、ここは国際空港のロビーかサミットだろうかと自分を疑うほどにドイツにはドイツ人が住んでいるというイメージをぶち壊してくれる。もう1つ身近な例を挙げると、私の通うGymnasiumでのベストフレンドはシリアからの難民の学生だし、私の受けるドイツ語クラスにはウクライナ人、アフガニスタン人の移民が沢山いる。そして彼らは教室の過半数を占めている上、新参者も増え続けている。そうドイツは移民大国なのだ。そして無論このような国の在り方に反発する国民も多く、それが社会情勢にも現れている。それについては下記に添付したニュース記事も参考にして欲しい。(URLが切れてしまったらごめん)

要はナチスの正式名称の国家社会主義ドイツ労働者党(つまりNationalsozialistische Deutsche Arbeiterparteiの初めの4文字をとった)の掲げるような国粋主義的な思想を盾とする政党、通称「AfD」が擡頭してしまっているのだ。私が聞いたところによるとこの政党の初期の頃は、有権者がふざけて入れるような政党だったにも関わらず、昨今のロシア・ウクライナ戦争などの影響により本当に票を獲得するようになってしまったという。各地でAfD反対派のデモが行われ、ネオナチズムへの警戒も深まっている。


さてこれらをどうやって表題の「借り物アイデンティティ」につなげるのだろうか。あなたは応仁の乱によって貴族どもが京を避難し、京の文化が各地に伝播することで、結果日本全国津々浦々に京の都市を模した碁盤の目の状の都市が形成されたことをご存知だろうか。それと似た話でわかってもらえれば良いが、今世紀も偶然戦乱(戦争)によって各国の文化が世界中様々な場所に伝播している「動き」が見える。


ここからは私の憶測である。(だからと言って全てがカオスに満ちているわけではない、フィクションにだって必ず精巧なロジックが必要不可欠なのだ)


私はその「動き」というのは、世界の今まさにある文化がシャッフルされるというもので、それが何か一つの目標に人類が向かっているという兆候に見えて仕方がないのだ。それも人類がどうかとかいう瑣末的な話ではなく、人類という「生命」がプリミティブにして高次な何かになろうとしているということである。私はそれが何かは皆目見当付かない。しかし言えるのはそこに到達するまでに人類における制約は飛躍的に少なくなっているだ郎ということだ。だが全ての人間がまるで神のように自由に振る舞って生きれられるというわけではない。果たして神は全ての人間を救い給うのか?甚だ疑問である。神というのは人間が都合よく万物を理解するための空想でしかない。宗教はそれをうまく体系化したものである。その通りで神はこの世に存在しない。あるのは神的な存在=絶対的な真理だけだと、私は考える。


(本旨と関係ないがある意味人間は神になれる気もするのだ。なぜなら神は人間が作り出した存在だから。しかし人間がそのような存在になろうとして、なるのは一種の傲慢でしかないだろう。神はなるべく定めによって自然発生するのかもしれない)


真理は現物として存在する形は、すまないが私の想像するところでは未だない。それは現在人間や他の動物によって、彼らなりの真理に翻訳されているがそれは二次的なコピーでしかなく、それは全世界の映画館で全く同じ映画が見られることと似ている。どういうことか、真理というシーンを、カメラという物体が記録して、映し出しているのである。つまり人間は人間の持つ道具:文字、家畜、兵器など人類の存続/繁栄を助けるものによって、万物の仕組みを明らかにしようとしてきた。それは文字通り地球上の各地で行われてきたが、そこには代表する2つの制約があった。1つが地理的な制約、2つが生死的な制約である。幸運なことに私たち人類は実質的にインターネットによって第1の制約は乗り越えた。第2の制約も平均寿命が飢餓と疾病、災害になす術もなかったあの頃から比べれば格段に伸びた。その上これから個人のコピーを作ったり脳のバックアップで、人生の情報をクラウド上に保存などできて、さらに他人の情報をインストール可能な未来ができるとしたら、まあ2つの制約は確実に克服できるであろう。そう我々は統一へと向かうために用意された道具の一つに過ぎないのだ。それぞれに役割があり、現在は大衆の一員として社会の中で個人の持つ独自の方法によって真理を究明するために生きている。勿論ここで指す真理とは純正な真理であり、人間によって翻訳されたものではない。


総じて、個人単位の人間/その集団である人類は真理に到達するための単なる道具に過ぎないということ。人類は到達するまでの道程で、現在の私たちは宗教、文化、社会などからなるアイデンティティを限りなく周囲の「異質」と思われるようなところから吸収し、日本で生まれたから日本人、アメリカで生まれたからアメリカ人、アンゴラで生まれたからアンゴラ人、などというボーダーラインを払拭し、自らを一つの生命として(その前段階に地球規模としての人間という自覚が必要かもしれない)自覚した人間を目指すということ。表題の意味するところは、それらの概説を易しく理解するために「借り物アイデンティティ」という考えが、自分のアイデンティティは誰かの借り物で固有ではないこと=結局人間の出自は全て同等であること、を肝に銘じておく必要があるということなのだ。


おせっかい的に話させてもらうとこの評論の多くは手塚治虫の作品、発言、意見に基づいている。特に火の鳥の世界観(おそらくもう摑んでいる部分は多いと思うが、)はコアとなるインスピレーションだ。最後になるがここで手塚治虫と立川談志の対談から少し引用して終わる。(1997年8月12日初版  手塚治虫漫画全集 396 別巻14   手塚治虫対談集④より一部抜粋)


(手塚) これは、おもしろいなと思っているけど、昔描いたキャラクターを最近の連中が見て、「ナウい」なんていってるんです。どうも読者の好みは何度も繰り返しているんですね。それで、ほくはつくづく思っているんだけど、小説でもマンガでも、自分ではオリジナルな作品だと信じていても、もしかしたら、古くから伝承されてきた原型みたいなものがあって、ぼくの作品は、ただその原型のかたちを変えたバリエーションでしかないんじゃないかと思ってがっくりしているんです。つまり、いまのぼくのマンガも、ずっと以前にだれかが描いたものの焼き直しにすぎないかもしれないと……。

(談志) 謙虚だなあ、先生は。

(手塚) いや、正直そう思ってるんです。

(談志) そう思わないほうがいいよ、絶対思わないほうがいい。先生は、天才なんだから。


以上、拙い文章でした

 
 
 

最新記事

すべて表示
ベルリン滞在記

家族が連れて行ってくれた。クリスマスプレゼントとして、だ。感謝。 1日目 ほぼ移動。カオスの残骸を感じながらのBerlin。興奮しながら寝る。 2日目 まずTU Berlin に行く。ここはHans Scharoun設計の建物だ。ぶらぶら見て回っていると、講堂に人がいるのを...

 
 
 
メッセ概論

プロじゃない人向けのメッセに関する5箇条。これを作るきっかけとなったメッセも紹介します。リンクから飛んでください。 ↓ひとつひとつレポートを書いたので見てね 情報のアンテナを張れ Instagramでもなんでも情報を手に入れるようにしろ。自分は片っ端から芸術や建築のニュース...

 
 
 

コメント


登録・ログインして評価・コメント

bottom of page