楽園を目指して
- Tak Yama
- 2024年3月21日
- 読了時間: 4分
マトリックスというSF映画がある。仮想世界の中で人間を支配する機械と、仮想世界の外側、つまり実際の世界に生きる人間との争いを描いたサイバーパンクというジャンルを象徴する名作だ。
その中で、機械が人間を収容するために最初に作成した仮想世界に人間を入れたところ、人間はそれを悪夢だと感じ拒絶したというような歴史の説明がある。人間が悪夢だと感じる世界とは、例えば娯楽のない労働のみの世界であったり、必要最低限の物体の存在しないマインクラフトのフラットなワールドであったり、まあ色々考えられる。この映画では、
「Where none suffered, where everybody would be happy.」
というのが答えだ。意訳すると
「困難もない、人類が幸せに暮らせる場所」
のような具合であろう。
つまり、我々がよく言うところの「楽園」というもので暮らしていると、人間はそれを悪夢に感じ、拒絶してしまうだろうということがここでは言われているのだ。それは裏を返せば、人間の人生において苦しみや悩みは必要不可欠であり、それらこそが人間の"生"であり"現実"であるという考えを垣間見ることができる。
(この映画の部分について確かな、ちゃんとした記事を見つけたので、勝手に紹介させてもらいます。許可なんてとってる暇がないのでここに敬意を込めて貼らせていただきます。)
では、本来人間が望むべき楽園とはどのようなものなのだろうか。マトリックスの考え方を尊重するのであれば、何かしらの苦悩がないと人間は人間としての生を受け入れられないようだし、かといって苦悩がある世界は果たして楽園といえるのか。
楽園とGoogleで検索すると、「苦しみが無く、楽しさに満ちあふれた場所。パラダイス。」と出てくる。苦しみがあるとどうやら楽園ではないようだ。ならば楽園とは人間にとって悪夢にもなりうるものなのか。私はそうであってほしくない。

ならば、どのようなものが我々にとっての楽園か。それは、「自分がしたい苦労・悩みができる場所」なのではないだろうか。スマホに転がっている快楽に身を任せている現状を一度無視して考えられるならば、例えば自分の興味のある職種、自分のモチベーションのある所に苦労を割ける世界があったなら、その苦労はきっと苦痛ではない。大変ではあっても、億劫にはならないのではないだろうか。きれいごとに聞こえるが、人間がみな同じ興味を持っているわけではないのだから、彼らがみなやりたい努力をできれば世の中には心理的な無理をする人間がいなくなったと、そういえるのではないだろうか。
ただ、自分のやりたいことを生業とするにはそれ相応の努力も必要であるし、場合によっては経済的・物理的な差も生じるだろう。それをなくすことは出来ないから、結局多少の妥協は誕生してしまう。それでも、自分の思う楽園の姿は、みんながやりたい苦労を積むことのできる場所であるのには変わりがないから、実現うんぬんより、理想としてここに記録しておく。
話は変わるのだが、デンマークに「地上最後の楽園」と謳われる場所があるのをご存じだろうか。名前をクリスチャニアといい、今はアナキズム、集産主義のはびこるヒッピーの聖地となっているのだが、そこにはほぼデンマーク政府が介入しておらず、住民が定めたルールがあるのみである。非常に危険ではあるがそれゆえ愉快で、美しい場所であることだろう。そこが楽園といわれるのはなぜかと考えると、きっと政府、つまり上がいない完全な地域であり、よほど人倫に反すること以外は自由であるという部分だろう。
人間は抑圧に対して異常なほど忌避反応を起こす習性があるようだし、自分より上がいないだけで楽園と呼ばれるようなら、案外楽園は金と力を持った時に実現する小汚いものなのかもしれないとも感じてしまう。
何にしろ、クリスチャニアにそんな身分も小汚い欲望も必要ない、あるのは自由への渇望と自然やあるがままに対する愛である。見方を変えるだけで理想も、悪も、楽園の定義すらも変えられてしまう私の頭の中には、果たしてどのような理論があって、私は楽園を見ることは出来るのだろうか。
(今回の文はまとまりが悪いため、非常にもやもやとした終わりになっている。ここまで辛抱強く読んでくれた方に申し訳ないが、今回の文はさほど私の考えが表せていない。いつかまとまったときにまた同じような話題を書くと思うので、成長すると信じてほしい。)




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