消えゆく日本語の「 」
- Tak Yama
- 2024年4月8日
- 読了時間: 4分
どこかのShortsか何かで見た話で、ある妻が南極観測隊で遠く離れているの夫に対して電報を打とうとしたが、そのころの電報ではあまり長い文を打つことは出来ない。そこで、そのあふれんばかりの様々な感情をどうにかして伝えたい、と思いを込めて選んだ言葉が、「あなた」の三文字であった。そしてそれを受け取った夫は、心打たれて泣き崩れる―――
というものだ。
この三文字には、どんなにたくさん想いが込められていることだろう。「あなた、お変わりなくお過ごしですか」「あなた、私たちは元気にやっています」「あなた、どうか、無事に帰ってきてください」「あなた、○○」、きっとそれはそれは考えに考えて、どうしてこの胸懐を伝えられましょうかと、そのすべての感情を詰め込んだ三文字である。
無論この話では、この夫婦の愛情の深さや強い絆など、さまざまな要因があるだろうが、私はここで、日本語の奥深さに注目したい。「あなた」といえば、英語なら「You」と訳されるだろうが、同じ三文字の言葉でも私たち日本人が「あなた」から感じるものは、そんな短絡的な意味のみではないはずだ。
「あなた」は相手を敬う呼び方であり、妻が夫を呼ぶときによく用いる方法であり、この三文字のみを見るとひらがなであらわす穏やかさや、この話の場面においては慈しみや憂いなど、さまざまな余韻を与えてくれている。それに私はこの言葉に、親しみや一種の信頼なども含まれているように思う。こんなに思いが含まれるのはよほど特別な状況のとき用いられているからだと思うかもしれないが、言葉自体に「You」以外のニュアンスを感じ取ることは常にできるはずだ。なぜなら、日本語には「You」と訳される言葉に、「あなた」「君」「お前」「貴君」「お主」…と、まあたくさん存在している。「あなた」に注目しても、「あなた」「アナタ」「貴方」と、すべて異なった雰囲気があるのがわかるだろう。
このように日本語には、言葉の余韻や印象に拡張される言葉の意味が存在する。もう少しわかりやすい例でいうと「月が綺麗ですね」に代表される暗喩的な慣用表現や、京都の方が用いる(とされる)「お茶漬けでもどうですか」があったりがある。これらは時折受け取り手に「理解」を強要する、もしくはわかって当然という風潮があるから、現代社会では少し邪険にされているかもしれない。だが、KY(空気読めない)に代表するように、現代でもそういった読解能力が低いことは欠点であるというような感覚があるのもまた事実なのだ。
私はこのような日本語の独特な「余白」ともいうべき、想像させて初めて生まれる意味合いを非常に美しいものに感じる。きっとこれは日本語ができる外国人でも意味として理解することはあれど、心からその推測で知る由もないだろう。私たちがこれを理解して用いることができるのは、日本語と日本の文化にどっぷりと浸かっているという幸運である。ほかの言語を学ぶ際には障害でしかないが、学んだあとに比較するとよほど日本語の表現が繊細で、かといって専門的でないかを思い知る。日本語は、よほど味のある言語なのだ。
しかし、先に少し書いたが、こういった日本語の日本語たりえる部分は、この速度とわかりやすさが非常に重要となる「情報」の現代社会において、淘汰されつつあるのだ。無駄に受け取り手に解釈の余地を残し、その余白を味わうのは現代においては「無駄」であり、それよりも海の外側にある世界の一般言語で使われる単語と同期させた使い方をする方がスマートなのだ。
ただ、たった数十年前まで一般のものとして私たちを取り巻いていたこの「余白」は、そう簡単に消えるようなものではない。日本語の比喩はそこら中に存在しているし、少し昔の本を読むと表現がどれほどねじ曲がったものであるかを感じることができるし、それゆえ美しさを感じることも難しくない。また、少し形は異なるが日本の「侘び寂び」であったり建築・絵画・彫刻の美しさは現代になってまばゆいコントラストを持ち、その独特な美しさが今度は海を渡り西洋で輝いているのもまた現実なのだ。言語という根本的かつ非常に精神的な部分が海外で理解されることはまずないかもしれないが、日本語、日本文化の中で形作られてきた美意識は今度は西洋にも伝わり、評価されているのだ。日本語の「余白」にある無限の空間と虹色の輝きが、そのうち西洋にも何らかの形で伝わるようなことがあれば、どれほど感動的なことだろう。
かといって、その時に日本人がその「余白」をまったくもって重要視していないとあれば、それこそ我々の誇りや日本のブランドが日本を離れ、西洋に東蛮の持っていた美的感覚という歴史になってしまう。私たち日本人が持つ文化は、何も「歌舞伎」や「桜」といった表面的なものだけではない。気づかないほど奥に、根本に、その美しさは在ったものなのだ。現代日本人の心の中でも、それはくすんだ光を発している。これを磨くのか、油彩絵の具で上書きするのかは、個人の選択にゆだねられている。




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