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陰キャの陰キャによる陰キャのための陰キャ分析①

  • 執筆者の写真: Tak Yama
    Tak Yama
  • 2024年6月18日
  • 読了時間: 5分

海外陰キャとの比較から、日本流の好転までの考察

・陰キャとは、一般的に周りに比べ引っ込み思案で内気である人物を呼称する単語であり、現代では「オタク」や「コミュ障」などと並べられることが多い。陰キャラ。⇔陽キャ


 一般的にこの単語には負の感情、すなわち悪口のような印象が孕んでいることが多い。それは陰キャがコミュニケーションが苦手であることが多い、もしくは進んでコミュニケーションを取ろうとしないがゆえに集団内での立場が下になることが多いためであると考えられる。また、陰キャであるとラベル付けをされた場合、多くはそれが陽キャから、もしくは自分から付けられるものであるが、それに従いより静かに、より目立たないように行動する傾向がみられる。そのことから、陰キャと呼ばれるということは、その呼ばれた個人の性格や自我が小さくなり、役割に応じてさらに内気、シャイになるように仕向ける効果があるとみられる。


 また、「陰キャ」の概念は日本独自のものであり、海外にこれに該当するような言葉、もしくは陰キャという言葉自体が波及することはほぼない。多くの場合それはただ「内気な人」を形容する言葉であり、そこに「陽キャ」に対する劣等感や社会性不足などの要素が内包されることがない。分析するデータとしては不足であるが、私はただ「シャイ」と呼称されることが多い。

 そこから考えられるに、海外、今回は限定して私の通っている学校では、クラスメート内に外向的な性格の個人も内向的な性格の個人も存在するが、そこに優劣が「ほぼ」存在しないと言える。ほぼ、というのは、外向的であればあるほどクラス外の友人や教師陣からの信頼が増えるため、周りから見ると高い評価を受けることがあるためにつけ加えた。しかし本記事の場合はクラス内の関係に焦点を当てるため、私のクラス内の人間関係に限定してみた場合、そこに上下や優劣は存在しないという意味である。

 では特に、私の学校で内向的な性格を持つ個人はどのようにされているかについてさらに焦点を当てて分析してみたい。ここでは個人A君とするが、彼はコミュニケーションが苦手、いわゆるコミュ障というわけではなく、自分からコミュニケーションを取ろうとすることがないという「陰キャ」であると考えられる。根拠として、A君は授業中の発言は多く、特に自分の好き(であると考えられる)教科の授業に関しては積極的に議論をする場合が多く見られる。ただ、休憩時間などでは一人でPCと向き合い趣味の時間として多くを費やしているため、他のクラスメートたちはすすんでA君とコミュニケーションを取ろうとはしないのだ。

 これは、日本の陰キャとは非常に異なる性質を持っている。なぜなら、A君は話すことができないわけではない。自分から話さないという選択肢を選んでいるだけなのだ。部分的には交友が苦手な部分はもちろんあるだろうが、それを自分で気づいたうえで楽な処世を自分から選ぶ、つまるところ適応だ。日本の陰キャに目を向けると、確かにそのコミュニケーション能力の低さ以外にも、例えば自己肯定感の低さや授業中にも基本的には活動的でなく、また彼らは自分で周りを拒絶する場合が多い。自分と同じ趣味の仲間内ではよくしゃべる、というのもその特徴だろう。

 海外製の陰キャは、その元来の得手不得手を加味した楽な生き方であるのに対し、日本製の陰キャは自分の特性から付けられた周りの評価に最適化された生き方であるともいえる。だから、たとえ授業中であってもそのロールから脱することができない。なぜなら周りには常にクラスメートがいて、環境自体、そのロールを与えられた舞台からはおりていないからである。

 ただこれに対して、日本製の陰キャが日本でA君のようになれるわけではない。知っての通り、日本で重要視されるのは「場の空気」であったり「流れ」であるからして、日本人はそのTPOに応じたロールをいくつも使い分けているからである。それがない自分というのは日本にはほぼないように感じる。なぜなら、その中のどれか、例えば親友といるときのロールや家族といるときのロールを我々は「本性」や「自然体」と呼ぶからだ。こんなことを言うと自我が崩壊するように見えるが、私の自認では私の本性というものはすでにわからなくなってしまっている。その場その場に適応された自分はいるが、どれが本性やら自然体ではない。逆にすべてが本性で自然体なのかもしれないので、きっとすべてのロールで何かしら嘘やら本音からの偽りをしているので、すべて正直な私、というのは無いように思う。私の話が長くなってしまった。そのロールで包まれた日本人の陰キャは、一般的にロールを演じるのが苦手な人でもあるのだと思う。つまり、ロールが強要される会話や授業といったコミュニティから、「黙」という手段で抜け出す、これこそロールや流れから脱する、解脱とも言おうか、そういう試みなのだと考える。しかしそれ故にしゃべらない「陰キャ」というロールで周りから認識され、そのうえ自分でもそのロールを自分自身に付しているのだから何とも悲しい話である。

 つまり彼らがこれらを抜けたい場合できるのは、コミュニティからの脱出もしくは違うコミュニティに行くということだ。それをクラス替えや席替えなどで受動的にさせる場合もあるが、もっと大きな単位で行いたい場合、通信制の学校に通ったり、転校したり、それでもできないほど深いロールの場合は不登校になるなど、日本では最適な解決方法が生み出されているのかもしれない。


 海外では自分から生き方を選んでいるのに対し、日本では周りからやロールとして付されてしまう「陰キャ」は、海外ではただの個性だが、日本では現代の若者のか弱い精神を蝕む呪いの仮面のような呪物になってしまった。それ故に、日本ではロールが生まれるコミュニティから解脱する方法が多数存在していると考えれば、日本的な考え方に最適化されたもののように感じる。

 ただ、これは彼らのために最適化されているだけであり、しわ寄せは確実にどこかに存在している。先生であったり、親であったり、それの場所はこの病が進行してからでないとわからないが、そのロールやコミュニティ内の個性を自分である程度コントロールできるようになるのは日本にいる間はエッセンシャルな能力であるかもしれない。

 
 
 

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