陰キャの陰キャによる陰キャのための陰キャ分析②
- Tak Yama
- 2024年7月5日
- 読了時間: 5分
コミュニケーションと演説
前回は、日本で陰キャと呼ばれる人々はどのような精神状態であるのかを海外と比較してみたが、今回は対人に注目して分析してみようと思う。前回より少しマクロな目線で、周りからどう見られて、どのようにして人は陰キャというロールを付すのか、そして具体的な「陰キャからの脱却」についても考えていきたい。
では、さっそく陰キャの見られ方についてだが、Definitionからも見て取れるように、彼らの不得手な部分としては「会話」や「社交」など総じて「対人関係」である。これは私の認識だが、「陰キャ」と「コミュ障」は非常に近い単語で、今は元来の陰キャという言葉よりも「コミュ障」などのフランクな言い方という用例に近いように感じる。内気や消極的というのは主に「対人関係において」とい修飾語が頭につくものでもあるだろう。つまり、これからいう「陰キャ」とは、現代において最低限以上のコミュニケーションを排するような「傾向」であるとしよう。
他人からそうみられる原因となるものは多岐にわたると想像できる。例えば吃音であったり、あがり症であったり、ほかにも外見的な部分や環境(友達、趣味など)であったりするだろうが、その陰キャにおいてはその人自身の原因ではない、というか私が言いたいような陰キャとは少し違うので、ここではもっと精神的な陰キャについて分析してみたい。
例えば、とある人Aさんがいるとして、対象のTさんに話しかけた時、Sさんがどんな態度でいると「陰キャ」であると評価されてしまうのか、先に除外したもの以外であると何があるだろうか。例えば、間が悪い、目を合わせようとしない、早口、声が小さい、自分の話ばかりするなどまあ書いていて己を鑑みているようで非常に癪だがそういうことだろう。これらは全て相手にしていて勝手が悪い特徴であるから、すなわちコミュニケーションしにくい→陰キャというような段階を踏んでラベルが貼られていく。そうなってしまうと今度は話しかけたいとならないので、さらに孤立する…といったような具合である。さて、このような場合の人間に対してどのような改善方法があるのかについて、より詳しく考えていきたい。
まず早口であったり目を合わせようとしない、声が小さいなどの要因に関しては、最近SNSでよくみられるように「自信」のなさに起因するものであることが多い。それに加えて、それが長期間に及んで性格としてへばりついてしまい、いざ話すときそれに強い影響を受けてしまうことも多いだろう。また、同じような話し方をする人ばかりで周りが構成されていると余計に症状が悪化する。これに対しては案外時間経過や成長や社会経験によってどうにかなる場合が多いと「信じて」いるので、今はまだ希望でしか語れないので、直したい人は危機感に従うように自分磨きをするくらいなのだろう。
私が本当にしたいのは自分の話ばかりすることに関しての分析である。実をいうと、これ以外の「陰キャ」に関してはそこまで致命的ではないと思っているからである。対人関係では自分を表現することが非常に重要だろうと思うが、かといって自分を押し付けるものではない。このブログのように無人の壁に向かってつらつらとするならただ奇異の目で見られるだけだが、対人の場においてそれを行うと、相互理解ではなく理解の強要となってしまうわけだ。自分はそうではないと思っていても、例えば趣味の話であったりだとこれが至る所に見受けられてしまうのだ。コミュニケーション能力を上げるというのはただ話をたくさんするのではなく、話したい相手には聞き手に回り、聞きたい相手に話すというその切り替えであると考えられる。かくいう私がこれをできているとは言わないが、それは「陰キャによる」であるからして折り込み済みだと思う。これは、普段からコミュニケーションをあまりしないと頭の中で話題というか話したいことが増えるから話した時にバクハツするのか、はたまたただ一方通行なコミュニケーションで他人の気持ちを考えられない精神状態なのかは個人によるが、これを続けられると大きな問題が生まれるのではないかの私は考えている。それは、視野の狭小化である。自分の話はし、他人の話を聞かないというのは、まさしく自分の都合のいい部分だけを受け入れる姿そのものではないだろうか。これはコミュニケーションだけでなく、例えばネットリテラシーや学びの場であっても悪影響をもたらす。この傾向は、実は昔の陰キャにはあまりないものである。ネットがどんどん身近になり、自分に最適化されたコンテンツに慣れてしまうと、それを現実のやり取りにも適用してしまい、このような事態になってしまうのではないだろうか。
では、これに対して改善方法はあるのだろうか。正直に言うと、一番の問題は自分がこの問題を持つということを認識する段階が一番難しく、逆に問題意識を持ちすぎると今度は自分のない日和見になってしまうので、これに関しては「個人次第」ではある。しかしながら、一例だがこれはどこかに話したい話題の発散場所を設けるとバランスが取れるように思う。いわゆる「聞き上手」な友人を作るでも、私のようにSNSなどでこうやってゴミ捨てしてしまうのもいいだろうが、それをすると、コミュニケーションの時に自分よがりせずに済むのではないだろうか。
今回のコミュニケーション分析、意外といろいろな場所にこの問題は存在していて、この原因は一意にインターネットであると私は思っている。発信を多く見る分、多く発信したいのも人の性。また変化があほのように高速化している現代だからこその問題でもある。まずは聞き上手話し上手になり、沢山話せるようになれば、話し方や態度の練習もできるようになるというもの。手遅れになる前にいい塩梅を見つけ出したいものである。




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